私が富士山を撮り始めたのは、1枚の富士山写真に感銘を受けたことがキッカケです。
はじめて一眼レフカメラを購入後は気の向くままに撮影をしていたけど、その中には富士山写真も意図せずに撮影していました。静岡県民の性でしょうか。
とくにキッカケがなかったとしても遅かれ早かれ「富士山写真」という趣味にたどり着いていたのかもしれないが、ここまで夢中になることはなかったと思う。
そんな富士山だけを追いかけたくなる大きな影響を受けた1枚がありました。
これほど幻想的な風景が静岡県内に存在するのかと驚いた。
もちろん同じ場所へ行った。
天気予報、季節、月齢など予備知識のない状態だったので、富士山すら見えずに撃沈したこともあった。かろうじて富士山を撮影しても思ったような写真は撮影できなかったけど、感銘を受けた風景は紛れもなくそこにはありました。
そんな簡単には撮影させてもらえなかったのが逆によかったのだろうか。富士山が逃げれば逃げるほど追いかけたくなる。そんな気分です。
私を動かした1枚として記憶に残し「同じ写真を撮る」ことはやめました。
ある日、感銘の1枚を撮影した富士山写真家さんから撮影の誘いを受けた。
断る理由はない。
当時はまだSNSにおける富士山カメラマン人口が少なかったことから、フォロワー内で偶然にも同じ静岡市内で活動していた私が目に止まったのかもしれない。
当日の撮影はまさに怒涛の展開。ナイトハイクに始まり見事な朝焼け、一瞬で湧き出した雲海、雲に飲み込まれる寸前に魅せたダイヤモンド富士。
最後は富士山を飛び越えようとするクジラ雲。
彼は富士山撮影において「雲」に拘っていただけあって、富士山を飾る雲に振り回されて楽しかった撮影の記憶が残ります。
それっきり彼と会うことはなかった。
これはまた別の話ですが、当時の彼を取り巻く界隈に思うところがあって距離を置いてしまった。それでも彼の活躍は嫌でも目に入るので陰ながら応援していました。
たった一度だけ関わってから気がつけば7年以上。
SNSデトックスとでも呼びましょうか。私はすっかりSNS離れが進んでおり、すでに1年以上も更新が止まっていたInstagramへ結婚報告ストーリーを投稿したところ、一番に飛んできた祝福メッセージが彼だったことを今でも忘れません。
すっかり雲の上の存在だった彼が、私のことを覚えていたんだと。
それどころか面識のなかったはずの妻(当時彼女)が単独で写真展へ行ったときには、私の彼女だと気づかれて声をかけられるというエピソードもあります。
彼が人気な富士山写真家なのはその人間性にあると思う。
活躍は国内だけに留まらず世界的な規模となり、勢いに乗って本当にこれからというタイミングでの訃報に驚きました。
あなたから頂いたキッカケは計り知れない。
唯一無二の富士山写真家です。
橋向真さん、本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。