こんにちは、アキです。
8月最後の富士山撮影に行きました。本当は8月はもう撮影には行けないかなと思っていたんで「8月の撮影まとめ」とか書いてしまった後でした。
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8月最後の富士山撮影
8月30日、行けないと思っていたけど手が空いたので狙いもなく朝活へと。撮影してなさすぎるので気分的にもリフレッシュするためにも。
朝焼けはいつもギリギリ
僕はいつもノープランで出かける時はとりあえず田貫湖を目指します。田貫湖で様子も見つつ行き先を考える感じです。
田貫湖に着くも富士山は見えず。
この時点でね、朝焼け直前ですよ。いつもギリギリに家を出るので行き先に悩んでる時間が無い。もっと近ければなぁ…
ライブカメラでは本栖湖では見えているので急いで移動。
139号線は空いている時ってぶっ飛ばしたくなるが、トラックが程よく遅いので安全運転を強制するストッパーとして役立ってくれている。
本栖湖に到着。
雲の向こう側で朝焼けを確認できるが、富士山は頭が僅かに見えるだけ。ライブカメラでは見えていたが移動中に雲が湧いてしまった。
すでに朝焼けタイムだったので、もうそんなに移動する気にもならなかったが「湖の上の雲ってもしかして雲海かも?」と頭をよぎった。
雲海って程の量じゃないから期待はしなかったけど、収穫ゼロで帰るよりは少し足掻いてみようと移動することにした。
“山舐めてる系”スタイル
とりあえず、朝焼けはもう諦めて本栖湖の中ノ倉展望台へと登ることにした。もしかしたら邪魔な雲の上に出られるかもしれない。
でさ、登山靴は車にあるんだけどまさかの靴下を忘れてきたという。基本的に撮影はサンダルである。
流石に素足で登山靴は履きたくないので、サンダルで展望台まで登ることにしました。15分程とは言え登山道に違いはない。
この時の僕は完全に “山舐めてる系” のスタイルだった。
意外と登りやすかった。サンダルって靴ずれの心配がなく最軽量であり究極の登山スタイルなのではないだろうか。
中ノ倉展望台へ辿り着くと先客が2名いました。一人はハイカーの方でもう一人は富士山カメラマン。
雲海ほどの量ではなかったが展望台からはやはり雲の上であり、富士山とようやく対面できました。本栖湖でこの感じのは初めてだったので、収穫にはなったと思う。
山の北側から絶え間なく雲が流れ込んで来ていたけど、その雲がフィルターとなって月のように形がクッキリの太陽が見れた。
もっと雲が流れ込んでくれたら雲海になるのだろうか。よく分からない。
先客カメラマンさんと「すごい綺麗ですねー」と話しながら撮影を続けました。先客カメラマンさんが先日の雷と富士山のコラボ写真を見せてくれたが凄かった。
虹のアーチも撮りたいけど、雷もかっこいいなー。
「なんか良い感じ」
それ以外に表現する言葉が見つからない。
雲がふあっとして。
なんていうか肉眼で見て「わー綺麗だ」と感じていたけど、写真だと上手く表現できなかった。肉眼ではすごい良かったんだけど。
これがブランクか。久しぶりの撮影だったからな。
コーラが美味しそうに見えるでしょう、これ。
そんなことないか。
最初から美味しいもんね。
ハイカーの人は一足先にどこかの山へと行ってしまい、先客カメラマンさんも先に降りて行った。僕はのんびりと富士山を眺める。
下山中でのネイチャーフォト。これもまた「なんか良い感じ」だよね。
この光芒が出そうで出ない感じの写真を撮っててふと思い出した。
写真において「書く」って表現はありでしょうか。
光芒で有名なスポットがあるようで、納得がいかないのか「光芒を書く」という流れを見かけた。さらに光芒だけの合成素材が配布されていたりもする。
この類の人はホタルの光跡も「書く」のだという。
それってもう写真って呼べるのかどうか疑問に思うわけです。
某カメラ部でも完全に実在しない合成風景が普通にシェアされている。
節子、それ写真やない。コラ画像や。
まとめ:境界線をはっきりと分けてほしいよね
某カメラ部みたいな大きなコミュニティで実在しない合成風景をシェアされて、それを見て「凄い綺麗な場所、行ってみたい!」と騙されてしまう人もいるわけでしょ。
HDR合成とか、バルブ撮影とか、比較明合成とか。時系列を1枚に収める技術はありだと思います。
でも、実在していない架空の風景ってどうなのでしょうか。有りもしないモノを合成するってどうなのでしょうか。写真において「書く」って表現はどうなのでしょうか。
凄い作品には変わりはないんだけど、「写真」という括りでいいのかどうか。
風景写真を撮影している人達はこの手の合成写真をどう思っているのか気になります。
少し脱線しちゃいました。8月最後の撮影記録だったけど、最近SNSとか見てて思っていたことなんです。
これが「写真」の時代の流れだとしたら、僕もいずれコラ職人を目指すことになるのだろうか。